シリコンバレーの片隅で

シリコンバレー在住駐在員の日常生活について

シリコンバレーの教育事情(長女受験その2)

受験開始

いよいよ受験が始まった。が、学校の選択で重大なミスをおかしてしまった。。。今回希望する高校はどれもレベルの高い高校ばかりを選んでしまい、いわゆる滑り止め的な、気持ちをとりあえず落ち着かせるのに必要な志願高を入れないでスケジュールを組んでしまった。通常の高校受験しか経験の無い両親は、当然、滑り止めという選択をしてきたのだが、帰国子女向けの受験をよく理解しておらず、一番重要な計画が甘かった。。。と言う事を受験開始時には全く気づいていなかったというのが最大のミス。。。でも言い訳すると、帰国子女向けの学校って選択肢がそんなに無いのよね。。。
アメリカ現地高の課題も多く、ほぼ受験対策がなされないまま、12月に最初受験のため長女&妻で日本へ一時帰国。次女と私がアメリカに残った。

 

ロング受験ロードの開始

1校目は、関西の有名な帰国子女受け入れ校。ここは本命では無いのだが、2番手としてはレベルが高すぎた。。確か論文と面接だったが、論文は事前対策不十分、まぁ面接はそれなりに対策はできていたが、 結果敗退。

京都から戻り、いよいよ本命の高校を受験。これは面接のみ。出願時点で英検の条件や校長推薦など、準備するものが多く、条件をクリアした志願者しか受験できない。またカリフォルニアでも屈指のHigh Schoolに通っており、一瞬チャンスかと思われた。面接もそれなりに手応えを感じていたらしいが、結果、敗退。とりあえず、一旦アメリカに戻ることになる。

 

シッターさん

12月の受験は敗退し、受験とは直接関係ないのだが、長女と妻が日本へ行っている間、妻の友人の娘さんに次女のシッターとして来ていただいた。少なくともエレメンタリーの子供を一人で行動させてはいけないと言うカリフォルニアの掟があるのだ。

このシッターで来てくれたお嬢さん、現地の大学に通っている学生さんで、とても良い方。次女も一緒に過ごせて楽しかったようだ。

日本では残念ながらシッターさんにお願いすることはメジャーではないが(シッターさんにお願いする事を周りが抵抗感を持つ感あり)、アメリカではかなりメジャー。

本当に助かった。

 

二度目の帰国

12月は敗退し、二度目の受験のため1月に帰国。今度は私が同行して行く事とした。もし、第一志望校に落ちた場合、私は先にアメリカに戻り、残りの受験を一人で過ごすという予定でチケットをとった。

この間、日本人学校の先生にもアドバイスを受け、面接対策を実施。私も何度かアドバスを行い、また、新たな推薦状を添付し、今回は以前より対策取れているだろうと考えていた。

実は今回受けた高校は12月に敗退した高校で、今度は書類選考+面接と言う内容であった。高校までは娘に同行し、面接後も手応えあったとのことであったので安心していたのだが。。。。今回も敗退。失望のどん底に娘はいた。

残るは2校。そのうち1校は願書が未完で、志望動機などたくさんの記述が残っていた。この失望の中、娘の気力はほぼZEROになり、その状況のまま日本に残して私はアメリカに帰国した。

しかも、残る高校のうち1校は筆記試験であった。日本の筆記試験対策を全くしていない娘としては、一番合格率の低い受験と考えられたため、さらに気力を失っていた。

両親もアメリカにおり孤独な戦いとなった。

 

合格

4回目の受験は、また第一志望校、今度は筆記試験。この試験と残りの高校(都立)の試験がNGだった場合は、一旦アメリカへ戻り、インターナショナルスクールを含め、進路を再検討することで娘と話をした。

筆記試験の日まで、2週間近く私の実家で過ごす事となった。これはこれで気を使って大変だった様子^^;

筆記試験の日、娘から連絡があり、「落ちたかもしれない。。」と。。。

合格発表は試験の二日後、この二日間は娘にとっても辛い時期だったのかもしれない。

しかし結果は無事合格!!

この連絡を受けて、家族皆大喜び&ホッとした瞬間であった。同じ高校を3回受験。思いは通じるのだと思った。